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レストランに入ると、定番のメニューを提示してくれるといいのですが、たくさん書かれたメニューから選ぶとなると、どれも美味しそうに見えて迷ってしまうし、どれも捨てがたいという気持ちが膨らんでくるはずです。 人生も同じで、「自分らしく生きろ」とか、「自由な生き方」とか、「わがままに生きればいい」などの「生き方のメニュー」が増えれば増えるほど、多くの女性は、そういうスローガンに心を奪われて、本当にあるべき自分の姿を見失ってしまうのです。
昭和の時代には、価値観も単純で、女性たちは、 「夫が世界一素敵な人で、子供が財産で、みんなが病気もせず、毎日笑って暮らせること」 が幸せと考えていました。 また、三年後の目標はと聞かれれば「今のままが一番いい」と言い、十年後はどうしていたいという問いには、「子供を社会に送り出し、結婚を見届け、夫の定年退職を祝ったら、その後は夫婦二人でゆったりと仲良く余生を送りたい」と願っていました。 現在の女性たちが抱く夢や幸福感と比べると、いたって平凡で地味に見えますが、こんな基本的な生き方を幸せと思える人は、いつの時代も「不変の幸せ」を手にして生きている女性ではないでしょうか。 経済的な豊かさと自由な生き方を実現できるようになり、欲しいものには何もかも手に届くと思えるようになるにつれ、「温もりを感じる多くのもの」をいつの間にか心の中から失った女性が増えています。 「足りないゆえに感じた幸せ」について考えることなく、目先の便利さ、豊かさに飛びついたために、幸せはいつの間にか「遠く離れた存在」になってしまったようです。
日本人であろうと、外国人であろうと、女性がやっている「普通のこと」を毎日きちんとやることが、女性の幸せの原点ではないかと思います。 朝起きて、食事の支度をし、家の中ヲキレイにして、仕事を持つ人であれば仕事に行き、結婚している人であれば、夫を見送り子供の世話をしてという「生活の核」をきちんと持つことです。 「核」がない人は、何をやっても中途半端で満たされないままです。 「日常の小さなこと」をきちんと淡々とこなすこと、そうした「核」がなければ、付き合う人を変えても、環境を変えても、幸せは近くにやってこないのです。
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